福山市に存在した備後福山藩の処刑場跡には、今なお消えることのない怨念が渦巻いているという。血に染まった歴史を持つこの地では、老爺の霊の目撃談や、不気味な声、足音など数々の心霊現象が語り継がれている。今回は、備後福山藩処刑場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
備後福山藩処刑場跡とは?

現在、福山市の中央斎場が建つこの地には、かつて備後福山藩の奈良津処刑場が存在していた。
江戸時代、水野家を皮切りに、阿部家が治めた譜代藩である福山藩は、厳格な刑罰制度のもとに罪人の命を奪い、埋葬すらされぬまま遺体を打ち捨てるという非情な処置を行っていた。
この地は山中の奥深くに位置し、外界から完全に隔絶されていたことから、処刑の事実を知る者も限られていた。
斎場裏手には池が存在し、そこでは斬首された死体の血を洗い流すとともに、遺体そのものを投棄していたという、ぞっとするような噂も残っている。
また、この一帯は古来より不浄の地とされてきた。
鬼門にあたる地勢、かつての“千人壷”や“姥捨て山”の伝承が物語るように、この場所は死者と無縁仏が累々と積み重ねられた呪われた土地である。
備後福山藩処刑場跡の心霊現象
備後福山藩処刑場跡の心霊現象は、
- 老爺の霊が現れる
- 池の周囲でうめき声が聞こえる
- 墓地周辺に白い影が立ち尽くしている
- 夜間、斎場裏で人の気配と足音が続く
である。以下、これらの怪異について記述する。
最も知られている心霊現象は、老爺の霊が出没するというものである。
白髪交じりの乱れた髪に、血に濡れた着物を纏い、斎場裏の池のほとりに立ち尽くしている姿が幾度となく目撃されている。
彼の視線は、まるで助けを求めるかのようにこちらをじっと見つめてくるという。
また、池の周囲では、深夜になると「ごぼごぼ…」という水音とともに、血に濡れた斬首された者たちのうめき声のような音が響く。
誰もいないはずの場所から声が聞こえる恐怖は、現代に生きる者の理性をも軽く凌駕する。
墓地を囲む道を歩いていると、ふと前方に白い人影が現れる。
その影は何も語らず、何も動かず、ただそこに存在しているだけである。
しかし、その視線を感じた者は、決まって悪寒に襲われるという。
斎場裏手の山道では、夜間、誰もいないはずの足音が背後から迫ってくる。
振り返っても誰もいない。
だが、再び歩き始めると、また“それ”も歩き始めるという。
まるで処刑された者の魂が、自らの無念を訴えるかのように、人の後をつけ回しているかのようである。
備後福山藩処刑場跡の心霊体験談
ある男性が夜間に斎場近くの道路を車で走行していたところ、急にフロントガラスに白く霞む人影が現れた。
驚いて車を停めたが、そこには誰もいなかった。
しかし、その瞬間、助手席のドアが「ガチャ」と勝手に開いたという。
また別の日、同じ場所で散歩していた女性が、誰もいない池のほとりから「苦しい…」と声がしたため、慌てて立ち去ろうとしたが、足が地面に吸い付くように動かなくなり、立ちすくんでしまったという。
やっとの思いで逃げ出した彼女は、それ以来二度とその場所に近づいていない。
備後福山藩処刑場跡の心霊考察
この地に纏わる霊現象は偶然ではない。
元々が罪人の処刑場であり、池は血や遺体を処理するためのものだったという史実が、明らかに強烈な負のエネルギーを今なお留めていることを示唆している。
“千人壷”や“姥捨て山”といった名称が示す通り、この一帯は捨てられ、忘れられた死者たちの怨念が凝縮された地である。
水野勝成の時代から続く処刑の歴史、処理されなかった遺体、葬られぬ魂。
それらが、現代においてもこの土地に未練を残し、時折、訪れる者に対して自らの存在を訴えかけているのかもしれない。
死者の声なき声が聞こえるこの地に、軽い気持ちで足を踏み入れることは決して推奨できない。
霊の存在を信じる者も、信じぬ者も、ここに立てば何かを“感じる”であろう。
それは恐怖か、それとも哀しみか。
いずれにせよ、そこには確かに“何か”が存在しているのだ。
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