田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)は、歴史的に痛ましい惨劇があった場所で知られ、一部では心霊スポットと云われている。今回は、田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)のウワサの心霊話を紹介する。
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)とは?
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)は、田峯菅沼氏累代の本城で、文明2年(1470年)菅沼定信が築城して本城とする。
城主・菅沼定信は「長篠の戦い」で敗れた武田勝頼を田峯城に迎え入れようとしたが、親族・菅沼定直や今泉道善らに入城を拒否され、城を追われることになった。
このことに恨みを抱いた城主の菅沼定信は、天正4年(1582年)7月14日に田峯城を急襲し、老若男女幼少問わず城内にいた96人もの人々全てを惨殺した。
現在は、里の者が供養し、地元の小学生が清掃や管理をしているそうだ。
田峯城内乱の首塚。「田峯城内乱」で城を追われた菅沼定忠は武田氏の助力を得て城主に返り咲いた際、手当たり次第に老若男女問わず96人を虐殺した。主だった者の首を作手街道の辻に晒した。その為この場所を「首塚」と呼ぶようになった。 pic.twitter.com/GEjyBFi7kf
— 真庭ふしぎ@風来人 (@fusigi_plants) December 19, 2020
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)の心霊現象
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)の心霊現象は、
- 殺害された者の怨念が漂っている
である。現在、首塚がある場所は殺害された96人の首が晒された場所として伝えられており、中でも首謀格の今泉道善の生首をノコギリで引き落とすという常軌を逸する殺害をおこなっており、その者の怨念が今もなお残っていると云われている。
肝試しなどで遊び半分で訪れた者は「呪われる」などの祟りが起こるとされ、事故や怪我などに注意が必要のようだ。
霊を見たという話は少ないが、目に見えない怨念が漂っているという。
訪れた者の中には、昼間でも不気味な雰囲気に恐怖を感じ引き返したという話も。
今日は友達と歩いて田峯城内乱の首塚
— 悠真 (@PQUc0pKB8BVTZ4u) March 15, 2019
に行ってきました!(心霊スポット)
めちゃめちゃ怖かったw
右下の🐸可愛すぎた pic.twitter.com/wjehSqu0lc
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)の場所・アクセス・地図
田峯城内乱の首塚(首塚地蔵尊)の住所 | 〒441-2221 愛知県北設楽郡設楽町田峯 |
---|---|
交通アクセス | 豊田市から国道420号 経由で1時間19分 |
最寄りのバス停 | 田峯(徒歩44分)県道389号 経由 |
最寄り駅 | 近くに駅はない |
コメント