響ヶ原古戦場(相良神社)のウワサの心霊話

かつて壮絶な戦が繰り広げられた古戦場に、今もなお響くのは蹄の音か、それとも亡者の呻きか。今回は、響ヶ原古戦場(相良神社)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


響ヶ原古戦場(相良神社)とは?

響ヶ原古戦場(相良神社)の外観

響ヶ原古戦場は、天正9年(1581年)12月2日、相良義陽と甲斐宗運の間で勃発した「響ヶ原の戦い」の舞台である。

この戦は、島津氏の命を受けた相良義陽が阿蘇氏を攻めるべく布陣した際、かつての盟友・甲斐宗運の奇襲により、多くの血が流された凄惨な合戦であった。

この戦で相良義陽は無念の戦死を遂げ、その首は甲斐宗運によって丁重に相良側へ送り返されたという。

義陽の胴体は戦場に葬られ、後に家臣の手によって供養碑が建立された。

それが現在、相良神社(相良堂)として祀られている場所である。


響ヶ原古戦場(相良神社)の心霊現象

響ヶ原古戦場(相良神社)の心霊現象は、

  • 男性の霊が目撃される
  • 深夜に馬の蹄の音が聞こえる
  • 刀と刀がぶつかる「剣戟の響き」が耳元で鳴る
  • 勇ましい鬨の声が闇夜にこだまする

である。以下、これらの怪異について記述する。

この地では、特に旧暦の12月2日、つまり相良義陽が討死したその命日に怪現象が頻発すると言われている。

まず最も恐れられているのは、「男性の霊」の出現である。

戦装束をまとい、顔を血に染めたような男が、神社の奥の石段付近に立ち尽くしていたとの証言がある。

目が合った瞬間、消えるでもなく、動くでもなく、ただこちらをじっと睨みつけていたという。

また、誰もいないはずの境内において、突如として「カンッ、カンッ」と甲高い金属音が鳴り響くことがある。

これは剣戟の音、すなわち刀と刀が交わる激戦の名残とされる。

この音は一度聞こえ始めると、止むまでに長く、時には近づいてくるように感じるという。

さらに、静まり返った夜に「ドドドドッ」と響く馬の蹄の音。

まるで数百の騎馬軍が一斉に駆け抜けていくような音が、神社周辺の森の中から聞こえてくるとの報告が後を絶たない。

そして極めつけは、誰もいないはずの拝殿で突如耳元に響く「オォーッ!」「突撃せよ!」という勇ましい鬨の声である。

この声を聞いた者は、恐怖で足がすくみ、動けなくなるという。


響ヶ原古戦場(相良神社)の心霊体験談

ある地元の男性は、夜中に相良神社を訪れた際、拝殿前で不意に肩を叩かれたという。

振り返ると誰もいない。ただ、遠くの方から鬨の声とともに、松明をかかげたような人影が列をなして動いていたと語る。

また別の女性は、日中の参拝中に突然、激しい頭痛と吐き気に襲われ、その場に座り込んでしまった。

後に霊感のある知人に聞いたところ「ここには、まだ成仏できていない兵たちがうようよしている。

下手に近づかない方がいい」と忠告されたという。


響ヶ原古戦場(相良神社)の心霊考察

響ヶ原古戦場に残された怨念は、単なる「戦死者の魂」ではない。

相良義陽は、かつての盟友を裏切るという苦渋の決断を強いられ、誇り高き武将として散った。

その苦悩と無念、そして戦場に散った数百の兵たちの怒りや恐怖、悲しみが複雑に絡み合い、今なおこの地に重く垂れこめていると考えられる。

また、旧暦12月2日に現れる霊現象は、死者の魂が自らの命日を覚えており、その日だけ強く顕現するというスピリチュアル的な特徴とも一致している。

偶然では片づけられない奇妙な一致が、この場所の異常性を物語っている。

石段を登った先の御堂には、100人以上の名が刻まれた供養碑が安置されている。

だが、果たしてそれだけで彼らの無念は晴れるのか――そう問いかけるかのように、今もなお、響ヶ原の夜には戦の記憶がよみがえるのである。


響ヶ原古戦場(相良神社)の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。