雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)は、新しいトンネルが出来たため封鎖された旧トンネルである。悲劇の逸話が伝わっており、心霊現象が起こるとされている。今回は、雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)のウワサの心霊話を紹介する。
雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)とは?
昭和9年(1934年)に完成した古いトンネルがある。
総経費25,000円と投じた。(ちなみに昭和初期の1円は4000円ほどの価値があり、昭和34年以降は10円ほどの価値だという)
このトンネルは雛鶴隧道(旧名:雛鶴トンネル)と呼ばれ、山梨県都留市に位置している。
廃道となった県道35号線の旧道にある。
このトンネルは高さ3.5メートルで、全長は252メートル。
しかし、昭和61年(1986年)に新しい雛鶴トンネルが完成したため、古いトンネルは役目を終え閉鎖。
現在ではフェンスで封鎖されている。
山梨県道35号線の旧道、旧雛鶴隧道。
— おさじん (@noiseandblame) June 23, 2019
鮮やかに苔生した北側の坑口は、なんとなくジブリっぽい雰囲気でけっこうお気に入り。 pic.twitter.com/TWOj3dhxGI
雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)の心霊現象
雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)の心霊現象は、
- すすり泣く声が聞こえる
である。雛鶴隧道の名前は、南北朝時代の故事に由来している。
建武2年(1335年)、足利直義の命令で鎌倉の牢獄で処刑されることとなった親王は、とても悔しさから、死後も刺客の淵部義博を睨みつけていたという。
淵部義博は恐れおののき、親王の首を牢獄の近くにある竹やぶに捨てて逃げ出した。
護良親王は鎌倉で幽閉されていたが、刺客によって暗殺されたのである。
新王の寵姫である雛鶴姫(ひなづるひめ)が護良親王(もりながしんのう)の首を抱え、涙を流しながら越えたという逸話がある。
雛鶴姫は親王の首を抱えて鎌倉を脱出しようとしたが、この峠付近で産気づいた。
しかし、村人は後の足利氏からの報復を恐れて助けを拒み、寒さと飢えの中で雛鶴姫は産んだが、姫と生まれたばかりの皇子は亡くなった。
雛鶴姫は臨終の際に「ああ無常…」と嘆いたことから、この地域は無生野(むしょうの)と呼ばれるようになった。
今でも雨の夜になると、峠付近で姫のすすり泣く声が聞こえるというウワサがある。
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— 超852ch⌘🔥 (@baketsu3037) July 18, 2019
雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)の場所・アクセス・地図
雛鶴隧道(旧雛鶴トンネル)の住所 | 日本、〒401-0201 山梨県上野原市秋山 |
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交通アクセス | 山梨市から中央自動車道/西宮線 経由で55分 |
最寄りのバス停 | 無生野(徒歩39分)県道35号 経由 |
最寄り駅 | 禾生駅(徒歩2時間16分)県道35号 経由(車で17分) |
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