香川県高松市牟礼町にかつて存在した牟礼病院は、正式には鶴身病院と呼ばれ、地域医療を支えた由緒ある医院であった。しかし閉院後は白塗りの廃墟となり、昼間でも不気味な空気に包まれる心霊スポットとして語られるようになった。今回は、牟礼病院にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
牟礼病院とは?

牟礼病院(むれびょういん)は、香川県高松市牟礼町にかつて存在した廃病院である。
正式名称は「鶴身病院」であり、近隣の住民からは「ツルミ病院」と呼ばれていた。
1912(大正元)年に地元出身の外科医・鶴身藤太氏によって開設され、地域の医療を支える存在であった。
当時としては珍しくレントゲン設備を備え、多くの患者が集まったとされる。
藤太氏の死後は長男の孝雄氏が後を継いだが、1973(昭和48)年に往診中の事故で急逝した。
その後は後継者不在のまま衰退し、1980年前後にはすでに廃墟と化していた。
木造の白塗り平屋建ての病院は、長らく地域の人々から「美しい廃病院」と呼ばれたが、年月とともに壁は崩れ落ち、窓ガラスも破損し、やがて心霊スポットとして噂が広まるようになった。
2015(平成27)年頃に解体され、現在は門柱跡のみが残されている。
牟礼病院の心霊現象
牟礼病院の心霊現象は、
- 昼間であっても場の空気が重苦しく、気味が悪い
- 病院跡は古びた学校のように見え、不気味さを漂わせる
- 草木が異様に育たず、荒廃の様子がどこか不自然である
- 取り壊そうとしても事故や不具合が続き、なぜか解体できないと噂された
- カルテを盗み出すと、白衣をまとった看護婦の霊が現れて付きまとう
である。以下、これらの怪異について記述する。
牟礼病院は、単なる廃墟ではなく「異様な気配」に包まれていたとされる。
昼間に訪れても、光が遮られたような陰鬱さを覚えると語る者は多い。
古い木造建築はまるで廃校のようで、訪問者に懐かしさよりも強烈な不安を与えるのである。
また、敷地内ではなぜか草木が育ちにくく、雑草すらまばらであった。
この異常な土地の性質が「病院が死を吸い込んだ場所」であるかのような印象を与えた。
さらに、解体しようとすると事故が相次ぎ工事が中止されたという話もあり、まるで病院自体が取り壊しを拒んでいるかのように恐れられた。
最も有名なのは「カルテを持ち出すと看護婦の幽霊が現れる」という噂である。
白衣をまとった女の霊が訪問者を追いかけ、持ち出したカルテを返すまで執拗に付きまとうという。
この話は地元ではよく知られ、若者たちが肝試し感覚でカルテを探しに忍び込んだとされる。
牟礼病院の心霊体験談
ある探索者が夜中に牟礼病院へ侵入した際、廊下の突き当たりで「誰かがこちらを覗いている」と感じたという。
懐中電灯を向けると、確かに白衣姿の女性の影が立っていた。
慌てて逃げ出したものの、背後からヒールで床を踏むような音が追いかけてきて、駐車場まで響いていたという。
また別の者は、院内で書類のような紙束を見つけ、興味本位で持ち帰ろうとしたところ、車内に乗り込んだ瞬間、助手席に白衣の女性が座っているのを目撃してしまった。
恐怖のあまり紙を道路に投げ捨てたところ、その霊は煙のように消えたという。
牟礼病院の心霊考察
牟礼病院は、本来は地域に愛された医院であり、歴史的に見ても不吉な出来事は語られていない。
しかし、その衰退と廃墟化の過程で「死の気配」が強く刷り込まれ、やがて人々の心に恐怖を植え付ける存在となったのである。
特に「カルテを盗むと看護婦の霊が現れる」という噂は、医療従事者の誇りや使命感が死後も続いているかのようであり、病院という空間の特異性を象徴している。
廃墟の中に残された資料や器具が“まだ病院である”ことを主張し、それを侵す者に対して霊的な警告を与えているのかもしれない。
昼間でも異様に重苦しい空気、草木すら育たない土地、そして追いかけてくる看護婦の霊――。
牟礼病院は、ただの跡地ではなく、今もなお強烈な恐怖を漂わせ続ける心霊スポットであるのかもしれない。
コメント