徳島県鳴門市にある鳴門競艇場には、かつて新聞にも報じられた「幽霊ボート事件」をはじめ、今なお語り継がれる恐怖の心霊現象が存在する。レース写真に映り込む黒いボート、原因不明の事故死、そして現地で目撃される男性の霊――。今回は、鳴門競艇場にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
鳴門競艇場とは?

鳴門競艇場(なるときょうていじょう)は、徳島県鳴門市にある四国唯一のボートレース場である。
正式には「BOAT RACE鳴門」と称し、1953年に開場された歴史ある施設である。
競走水面は海であり、小鳴門海峡上に広がっている。潮流の影響を受けやすく、うねりや風が不安定なため、全国でも屈指の難水面として知られている。
イン逃げが決まりにくく、転覆や落水といった事故が他の競艇場に比べて頻発する場所である。
このように、物理的にも不安定な水面環境に加えて、過去にはいくつもの怪奇な出来事が記録されている場所である。
鳴門競艇場の心霊現象
鳴門競艇場の心霊現象は、
- 存在しないはずの「幽霊ボート」が写る
- 黒いボートがレース写真に映る
- 男性の霊が目撃される
- 心霊写真が撮れる
- 不可解な事故死が連続して起きる
である。以下、これらの怪異について記述する。
昭和29年(1954年)1月15日――それは、鳴門競艇場の歴史に永遠に刻まれる不気味な日である。
当日、通常通り行われたレースの判定写真には、出場艇とは異なる“存在しない7艇目のボート”が、黒くぼんやりと写り込んでいた。
関係者は混乱し、新聞社もこれを取り上げ、「幽霊ボート」として報道された。
この黒いボートの正体として噂されたのが、前月に佐賀県・唐津競艇場で試運転中に事故死した横溝幸雄選手の霊である。
彼はその前年、鳴門での開場記念レースに出場し、当時もっとも期待されていた選手であった。
ところが、レース中に舟のフィンが脱落し、まさかの5着。
観客は「八百長だ」と騒ぎ、暴動寸前にまで発展した。
横溝選手はこの不名誉な汚名を晴らすため、「次の鳴門で必ず名誉を取り戻す」と語っていたが、その決意むなしく12月24日に死亡。
そう、彼は「出場を約束された」次の鳴門に、すでにこの世の存在ではない“幽霊”として姿を現したのである。
さらに恐ろしい後日談がある。
事件から9年後の昭和38年(1963年)7月24日、今度は鳴門競艇場でレース中に、横溝選手と同郷の小笠原政敏選手が“幽霊ボート”が写った写真判定柱に激突し、命を落とすという悲劇が起きた。
観客の間では「横溝選手が小笠原選手をあの世に連れて行ったのではないか」と、因縁めいた噂が広がっていった。
また、事件後も数回にわたって存在しないボートが判定写真に写り込む事例が続いた。
全国紙にも取り上げられ、都市伝説として今も語り継がれている。
鳴門競艇場の心霊体験談
ある競艇ファンが語った話である。
「幽霊ボートの話は噂で聞いていたが、まさか自分の目で見ることになるとは思わなかった。スタートラインを睨むように望遠レンズを構えていたら、確かに6艇しかいないレースなのに、フレームの隅に黒い影が一瞬だけ横切った。あとで見返しても、フィルムには影のような“もう一つのボート”が確かに写っていた。」
また、現地で夜の撮影に挑んだ者の中には、無人のスタンドに男性の影を見たという者もいる。
振り向いても誰もおらず、強風の中、レースの音だけが遠くでこだましていたという。
鳴門競艇場の心霊考察
これらの心霊現象をどう解釈すべきか。確かにスリットカメラの構造上、撮影ミスや二重露光の可能性は否定できない。
実際に一部専門家からは「カメラの欠陥によるもので心霊現象ではない」との見解も出された。
しかし、なぜ“その時だけ”複数の幽霊ボートが写り、それもいずれも“死者”に関係したものばかりだったのか。
なぜ、あの写真判定柱に、関係ある選手が激突して命を落とすのか。
偶然というには、あまりに出来過ぎた筋書きである。
鳴門競艇場は、ただのレース会場ではない。
悔しさ、無念、怒りといった、生者の中に溶けきれなかった死者たちの執念が、今も水面に漂っている場所なのかもしれない。
「幽霊艇の正体がカメラの誤作動である」という見解が存在する一方で、ファンや関係者の中では、いまだにあの黒い艇の話は語り継がれている。
真相がどうであれ、鳴門競艇場にまつわるこの一連の出来事には、どこか常識では説明のつかない“何か”が存在していると感じざるを得ない。
すべては、悔しさを抱えたまま水面に消えた、一人の選手の執念から始まったウワサの心霊話である。
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