新潟県胎内市にある越後胎内観音には、日本最大級の青銅製観音像が祀られている。この観音像以上に人々の心に恐怖と哀れみを刻む存在が「童女石」であるという。今回は、越後胎内観音と童女石のウワサの心霊話を紹介する。
越後胎内観音と童女石とは?
越後胎内観音には、日本最大級の青銅製観音像が祀られている。
この観音像は身の丈7.3メートル、重さ4トンで、昭和45年(1970年)8月28日に建立された。
越後胎内観音は、昭和42年(1967年)に発生した羽越豪雨の犠牲者の冥福と復興、平和を祈念するために建立された。
この豪雨は山形県と新潟県下越地方に甚大な被害をもたらし、100名以上の命が失われたのである。
豪雨で荒川と大石川が氾濫し、多くの地域で堤防が決壊。
街中は泥水と岩石で埋まり、大災害となったのである。
この水害の4年後の昭和46年(1971年)7月25日、不思議な出来事が起こった。
新潟市に住む市川脩次さんが観音様にお参りに来た際、境内の階段で奇妙な石を見つけた。
家に持ち帰って洗ってみると、その石の上に幼い女の子の顔がはっきりと現れた。
この石は「童女石」と呼ばれ、水害で命を失った子供の霊が宿っていると考えられた。
市川さんはこの石を越後胎内観音に納めて安置してもらうことに。
なぜ市川さんが大きな石を家に持ち帰ったのかは謎だが、何か不思議な第六感が働いたのかもしれない
越後胎内観音には、痛ましい災害の記憶と、それを慰めるための心が込められている。
そして、童女石の不思議な話は、今も多くの人々に語り継がれているのである。
#石の日
— 幻覚@蛇プニョ (@genkakuheavy) January 3, 2022
童女石 (新潟県胎内市) pic.twitter.com/zvp70XA5cf
越後胎内観音と童女石の心霊現象
越後胎内観音と童女石の心霊現象は、
- 童女石に子供の霊が宿っている
- 童女石から霊の存在を感じる
- 童女石から悲しみ無念さ感じる
である。童女石は昔から非常に有名で、テレビでも紹介された程である。
ある話によれば、東京12チャンネル(現テレビ東京)の「ビックリ大集合」というテレビ番組にて紹介されたそうである。
その番組で、この石が見つかった経緯や、浮かび上がった幼女の顔が、昭和42年8月の「羽越水害」の犠牲者の一人であるという内容が紹介された。
石に子供の霊が宿るという事実に恐怖を感じながらも、水害で命を失った幼女の無念さに心が締め付けられるような悲しみを覚える。
胎内観音の童女石は、ここは肝試し的に夜な夜な訪れる心霊スポットというよりも、別次元の存在かもしれない。
その小さな石に浮かび上がった幼女の顔と、それにまつわる悲しき水難事故の記憶が、人々の心に深い恐怖と哀れみを呼び起こす場所だ。
それは、見た者の心を凍りつかせる。
あの石に触れることで、あなたは彼女の苦しみと無念さを感じずにはいられない。
そこには、霊の存在を感じるだけでなく、その悲劇を忘れまいとする人々の温かさも感じられるのだ。
童女石は、恐怖と哀れみが共存する場所なのである。
昨日は家族で出かけた帰りに胎内観音へ。青銅製では日本一の観音様だそうです。
— らぱん (@lapin_usausa) April 6, 2019
帰林殿では昭和42年の羽越水害で無くなった女の子の顔が浮かぶ童女石が安置されています。
小学生の頃来た時は心霊スポットと思っていましたが、女の子の顔も優しく穏やかでした。 pic.twitter.com/aqNk2DzyvY
越後胎内観音と童女石の場所・アクセス・地図
越後胎内観音と童女石の住所 | 日本、〒959-2806 新潟県胎内市下赤谷384−1 |
---|---|
交通アクセス | 新潟市から新潟東西道路/国道7号 経由で53分 |
最寄りのバス停 | 近くにバス停はない |
最寄り駅 | 平木田駅(徒歩1時間4分)県道402号 経由 |
コメント