福岡城の一角に、今なお語り継がれる恐怖の伝説がある。武士の妻・お綱が強烈な怨念を遺して亡くなったとされるこの場所には、数々の怪異が伝わっており、福岡の人々の間でまことしやかに囁かれ続けている。今回は、お綱門にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
お綱門とは?

お綱門は、かつて福岡城の二の丸に設けられていた門である。
名前の由来は、浅野四郎左衛門の妻「お綱」にまつわる悲劇に起因する。
時は江戸時代、寛永年間。福岡藩主・黒田忠之が大阪から連れ帰った美しい芸妓を側室にしようとしたことから、すべては始まった。
家臣である浅野四郎左衛門にその芸妓を下げ渡すよう命じた忠之。
四郎左衛門は正妻お綱と二人の子どもがいたにもかかわらず、美貌の芸妓に心を奪われ、家庭を顧みなくなる。
困窮したお綱は、援助を懇願するも無視され、さらには奉公人がその状況を苦に自害するという惨劇も起こった。
そして、お綱は決意する。白装束をまとい、薙刀を携え、二人の子どもの首を腰に提げて夫のもとへ向かったのだ。
しかし、夫は不在であり、お綱は別の者に斬られて重傷を負う。
なおも城を目指すも、二の丸の門に手をかけたその瞬間、力尽きて絶命したという。
この恐るべき事件の後、その門は「お綱門」と呼ばれるようになった。
このお綱門はどこにあったのか定かではなく、今は実在していないという話がある。
ただ、扇坂御門がお綱門だったという説や、東御門と扇坂御門の間に存在していた門がお綱門であったのではないかという説がある。
お綱門の心霊現象
お綱門の心霊現象は、
- 男性の霊が門の近くに現れる
- 門にまつわる「祟り」に遭う
- 夜な夜な呻き声が聞こえる
- 門に触れると熱病に罹る
である。以下、これらの怪異について記述する。
男性の霊が現れる
お綱門の跡地付近では、夜になると門の前に武士姿の男がぼんやりと立っているという目撃談が後を絶たない。
この男こそ、お綱に見捨てられた浅野四郎左衛門の霊ではないかと噂されている。
その姿は寂しげであり、時折門のあった方をじっと見つめているという。
祟りに遭う
門にまつわる最大の恐怖は、「触れると熱病にかかる」という祟りである。
かつて実際に門の柱をなぞった者が、その晩に高熱を発し、うなされながら「お綱が…お綱が…」とうわごとを呟き続けたという。
また、近隣に住んでいた者が次々と病を得て去っていくなど、因果関係を疑われる事例もある。
夜な夜な呻き声が聞こえる
お綱門跡の周辺では、深夜になると「子どもを返して…」というような女の呻き声や、かすかな子どもの泣き声が聞こえるという報告も多い。
とくに節句の時期にはその声が強まるという説もある。
門に触れると熱病に罹る
実際に福岡城が存在していた時代、門に触れた藩士が相次いで原因不明の熱に倒れたという記録が残っている。
門に宿ったお綱の怨念が、その者の肉体を焼き尽くすのだとも噂された。
お綱門の心霊体験談
ある男性が、福岡家庭裁判所の近くを夜に通りかかった際、何気なく地面に目をやったところ、白装束の女性がうずくまっていたという。
驚いて見直した瞬間には誰もいなかったが、その日から高熱と悪夢に悩まされるようになった。
悪夢の中で、女は子どもを抱いて血まみれの姿で立っていた。
「わたしの声を聞け」と、何度も囁かれたという。
男性は、後日その場所がお綱門の跡地であると知り、震え上がったという。
お綱門の心霊考察
お綱門に関する一連の現象は、まぎれもなく「怨念」に起因するものである。
正妻としての誇りと、母としての愛情を踏みにじられたお綱の怒りと悲しみは、常人のそれをはるかに凌駕していた。
子を失い、誇りを砕かれ、自らの命すら失ったお綱の魂は、未だに成仏していないのだろう。
門という“境界”の象徴に彼女の霊が宿るのは、あの世とこの世の狭間で彷徨っている証なのかもしれない。
そして、その怨念は「見た者」「聞いた者」「近づいた者」すべてに熱病や不幸として降りかかる。
現在では門そのものは存在しないが、場所に染みついた記憶と執念は、容易に風化するものではない。
今もなお、お綱の叫びが、風に乗って福岡の町をさまよい続けているのかもしれない。
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