江古田の森公園は、その美しい自然と防災機能で知られる一方で、かつての結核療養所の跡地として、多くの恐ろしいウワサや心霊現象が囁かれているという。今回は、江古田の森公園のウワサの心霊話を紹介する。
江古田の森公園とは?
江古田の森公園は、旧北江古田公園の区域と名称を変更し、2007年4月1日に新たに開園した公園である。
旧国立療養所中野病院跡地に位置し、豊かな既存樹林を生かしたデザインが特徴。
また、保健福祉施設との調和を図りながら、中野区北部の防災公園としても機能している。
この場所には、かつての「野方苗圃」があり、1912年にアメリカから贈られたハナミズキが植えられた。
公園の規模と施設
面積: 60,224.51平方メートル
主要施設・設備は以下となる。
- 多目的広場
- 樹林広場
- 木製遊具
- 砂場、ブランコ
- 健康遊具
- 水飲場
- 車椅子対応トイレ
- 学習室
- ベンチ
- 芝生広場
- ビオトープ池
- ハナミズキの丘
- 北江古田遺跡
- 防災資材倉庫、防火水槽、応急給水槽
利用ルール
- 公園の利用時間は午後11時から翌朝6時まで禁止
- 園内は禁煙
- 自転車・バイクの乗り入れ禁止
- 犬の入園は制限あり
- 野球・サッカー・ゴルフなど禁止
- ゴミの持ち帰り必須
- 他の利用者の迷惑行為禁止
- 営業行為や広告宣伝禁止
- 集会や撮影、催し物には区役所への連絡が必要
結核療養所の歴史
1920年5月29日、当地に東京市療養所が開設された。
これは肺結核の療養所(サナトリウム)で、当初は500床を有し、貧困で療養の途のない者を無料で収容していたのだ。
当時、日本では結核の死亡率が非常に高く、療養所では多くの患者が命を落としていた。
療養所の設置と拡張
療養所の設置には地元住民の強い反対がありましたが、最終的には新道建設などの条件で和解が成立した。
その後、1923年から1924年にかけて鉄筋コンクリート造りの病舎が建設され、1929年には収容定員が870人に拡大された。
戦中戦後の療養所
戦時中、療養所は名称と管轄が何度か変更されたが、戦後には国立中野療養所として再発足し、その後1967年に国立療養所中野病院として再出発した。
戦後の結核治療の進展に伴い、入院患者は減少し、療養所の重要性も低下していった。
結核治療の進展
1950年代には特効薬の登場と公費治療制度の導入により結核の治療が進み、1960年代には三者併用療法が確立された。
これにより、結核は根本的に治癒可能となり、療養所への入院を要する患者は減少したのである。
この公園は、結核療養所の歴史と地域の自然を保護しつつ、防災とレクリエーションの機能を兼ね備えた重要な場所となっている。
中野病院の移転と廃統合
中野病院は長い間、結核患者の治療施設として稼働していたが、1993年に突然閉鎖された。
この閉鎖は、新宿区の国立国際医療協力センターへの統合によるものだった。
しかし、その背景にはいくつかの謎とウワサが存在している。
閉鎖の理由とウワサ
中野病院の閉鎖には、不気味なウワサが伴っている。
特に注目されるのは、病院が結核患者の臓器を敷地内に埋めて廃棄していたという話である。
この情報が警察の耳に入り、立ち入り調査が行われた結果、病院の違法性や不祥事が明るみに出て、閉鎖に至ったとウワサされている。
江古田の森公園の立ち入り禁止区域
現在の江古田の森公園には、立ち入り禁止区域が存在する。
この区域が病院の閉鎖と関連しているのではないかと云われているのだ。
さらに、夜になると心霊現象を体験する人が後を絶たないという話もあり、これらのウワサが臓器埋設の話と関連していると考える人も少なくない。
未解明の真相
中野病院の閉鎖の真相は未だに解明されていないが、ウワサと心霊現象の存在が人々の興味を引き続けているのである。
江古田の森公園の立ち入り禁止区域や夜間の心霊現象は、多くの謎を呼び起こし、閉鎖の背景についての関心を高めている。
このように、江古田の森公園と中野病院の歴史には多くの謎が隠されていますが、それが公園の現在の姿にどう影響しているのかは、今後も多くの人々の関心を引くだろう。
早朝散歩 江古田の森公園
— amちゃん (@am2018kaidan) June 22, 2022
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江古田の森公園の心霊現象
江古田の森公園の心霊現象は、
- 病棟の個室で無数の手が患者の首を締める現象があった
- ベッドで寝ていたら霊に覆いかぶされた
- 女性の霊が出て警告をする
- 女性の笑い声が聞こえる
- 心霊写真が撮れる
である。江古田の森公園は、かつての病院跡地として知られ、その地には数々の恐ろしい過去が埋もれている。
古びた廃墟の中で何が起きていたのか、その真相に迫ると共に、数々の心霊現象が報告されているのである。
旧病院の恐怖
旧本館で診療中の医師が突然怪死したという事件を皮切りに、病院の奥では猿を使った脳の実験が行われていたと云われている。
さらに、離れの隔離病棟では昼間から結核患者の幽霊が出没し、病棟の個室では無数の手が患者の首を締めるという恐ろしい光景が目撃された。
病院職員からも、ここでは不気味な話が絶えなかったという。
恐ろしい体験談
20年以上前、肝試しに訪れた若者たちは「うふふふ…」という女性の笑い声を聞いたという。
それは一人だけでなく、複数の人が同時に聞いたもので、恐怖の体験が現実のものと証明されたのである。
また、夜にウォーキング中、草むらの中で足音だけが聞こえ、誰もいないはずの場所からずっとついてくるという奇妙な現象を経験した人もいる。
彼らは草むらのガサガサ音がしないのに足音だけが聞こえるという説明のつかない恐怖に襲われた。
廃墟の歌声と心霊現象
廃墟が残っていた時代、江古田の森公園に行くと、廃墟から女性の歌声が聞こえてきた。
耳を塞いでも聞こえるその歌声は、多くの人に強烈な印象を与えている。
西側の森では、昼間でも寒気を感じるとウワサされ、夜になると更に恐ろしい心霊現象が多発する。
この場所は、かつて検体の臓器を捨てたり、火葬場があったりしたため、不気味な気が流れているとされている。
病院の霊と女性の警告
江古田の森公園では、亡くなった患者の霊が夜な夜な現れると云われている。
かつて中野病院で運営されていた頃から、壁から霊が現れる、ベッドで寝ていたら霊に覆いかぶされたなどの心霊現象が報告されていた。
また、多くの人が目撃した女性の霊が、ある方向を指さして警告するという現象もある。
その方向を見ると、邪悪な霊気が漂っているというのである。
彼女の亡くなり方や指さしている意味は不明だが、その恐怖は永遠に解かれることはないだろう。
心霊写真と夜の恐怖
江古田の森公園では、心霊写真が撮れることでも有名である。
夜に訪れると、意図せず心霊写真が撮れてしまうことが多く、その恐怖からこの場所が東京都内で最恐の心霊スポットとされる所以となっている。
昼間でも背筋が凍るような恐怖を感じる江古田の森公園だが、夜にはさらに恐ろしい体験が待っているかもしれない。
だが、夜間(23時以降)は入れないようになっているため、注意が必要である。
訪れる際は、そのリスクを十分に理解し、慎重に行動することを強くおすすめする。
中野区江古田の森公園
— いるりひと (@irrlicht2013) May 12, 2024
旧国立療養所中野病院跡地で、かつてはいわくありの心霊スポットしても有名だった。建物は全く残っておらず、広い敷地の小高い山だが、立入禁止の自然林以外は芝生や木々も整備されていて、タランチュラもいなかったし面白みに欠ける。周囲の川も細い流れのみ。 pic.twitter.com/fwKC0uLDsu
江古田の森公園の場所・アクセス・地図
江古田の森公園の住所 | 日本、〒165-0022 東京都中野区江古田3丁目14−番 |
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交通アクセス | 新宿区から都道8号 経由で8分 |
最寄りのバス停 | 江古田の森(徒歩1分) |
最寄り駅 | 新江古田駅(徒歩6分)江古田通り 経由 |
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