神秘的な雰囲気と謎めいた噂が渦巻く八坂神社。 東村山市にあるこの神社は、長い歴史とともに「心霊写真が撮れる場所」としても有名であるという。今回は、八坂神社(東村山市)のウワサの心霊話を紹介する。
八坂神社(東村山市)とは?
八坂神社は東村山市にある歴史ある神社で、東村山八坂神社とも呼ばれる。
創建年代は不明であるが、1662年(寛文2年)の火災で記録が失われたためとされる。
鎌倉時代中期の正福寺建立時や、1407年(応永14年)の地蔵堂建立時に、寺の守護神として牛頭天王が祀られ、後に社殿が建立されたと考えられている。
1869年(明治2年)に「武蔵野牛頭天王社」から現在の社名に改められた。
1989年(平成元年)には府中街道の拡幅工事に伴い、社殿が新たに建てられた。
例大祭
毎年7月の第2土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭が行われる。
例大祭では、隣接する正福寺と八坂神社の間で、約10kmの道を練り歩く。
境内の特徴
神社は新青梅街道に近いが、境内は広く静かで、大きな木々に囲まれた厳かな雰囲気の場所である。
階段を登って鳥居をくぐると、灯籠や狛犬が迎えてくれる。
境内には古い狛犬と新しい狛犬が四体配置されている。
広い境内には大きな木々が立ち並び、厳かな雰囲気が漂っている。
駐車場あり(境内内)
御朱印あり
トイレあり
八坂神社(東村山市)の心霊現象
八坂神社(東村山市)の心霊現象は、
- 心霊写真が撮れる
- 恨みのある藁人形が釘で打ち付けられている
である。昔、この神社で小学生が撮影した一枚の心霊写真がきっかけで、八坂神社は「心霊写真が撮れる神社」として知られるようになった。
特に不気味なのは、境内に立つ大木である。
この木には、時折藁人形が釘で打ち付けられているのが見つかることがあり、何者かの恨みが込められているかのような恐怖感を漂わせている。
訪れる者は、その異様な空気に圧倒されずにはいられないだろう。
八坂神社の心霊写真騒動と幽霊の真実
八坂神社(東村山市)はかつて心霊写真の名所として知られていた。
日本中で超常現象とオカルトがブームとなっていたある時、中学生5人がこの神社で心霊写真を撮影しようと集まったのだ。
彼らはまず小平霊園を訪れ、幽霊を撮ることに挑戦したが、何も写らなかった。
しかし、彼らはあきらめず、次に地元の八坂神社へと向かった。
神社に到着した彼らは、境内のあちこちで無数の写真を撮り始めた。
すると、石碑の横にぼんやりと浮かび上がる人の顔らしきものが写り込んだ写真が撮れてしまった。
学校に戻った彼らは、その写真をクラスメートに見せた。
写真を見た者たちは二手に分かれた。半数は「本物の幽霊だ」と騒ぎ立て、残りは「ただの錯覚だ」と否定した。
クラス中がその話題で持ちきりになり、やがて担任の先生がこの事態に乗り出すことになった。
担任の提案で、クラス全員が八坂神社に赴き、例の石碑の写真を撮ることになった。
5台のカメラで何枚も撮影し、その結果を待った。現像された写真には、半数以上の画像に霊の顔のようなものが写っていた。
先生はこれらの写真を専門家に送り、科学的な分析を依頼した。
その結果、「これはトリックでも撮影ミスでもなく、本物の心霊写真の可能性がある」との鑑定が出た。
この話題は瞬く間に広まり、全校生徒やPTA、さらには教育委員会まで巻き込んだ論争に発展した。
「写っているものは本当に幽霊なのか?」という疑問が浮上し、議論は白熱した。
そして、ついにはマスコミにも取り上げられ、新聞の見出しには「全校霊魂騒動『アッ写っている』先生も分裂 校長ついに中止命令」と大々的に報じられた。
校長の指示で八坂神社での撮影は禁止され、論争はひとまず沈静化した。
しかし、中学生たちが撮った「幽霊写真」の噂は広がり、八坂神社へ心霊写真を撮りに行く者が一時的に増加した。
それから数十年が経ち、この騒動を知る者は少なくなった。
しかし、今もなお、もしデジカメを持って八坂神社を訪れ、あの石碑を撮影したら、あの不気味な顔が写るのだろうか?デジカメの登場で心霊写真は減ったというが、それでも何かが写り込む可能性がないとは言い切れない。
かつてフィルムカメラがとらえた影やしみが本当に幽霊だったのか、それともただの錯覚だったのか…。
その真実は未だに不明である。
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