佐賀県に存在する焼米溜池(焼米池)。この穏やかな水面の奥には、長きにわたり語り継がれてきた、いくつもの不可解な現象が潜んでいるという。今回は、焼米溜池(焼米池)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
焼米溜池(焼米池)とは?
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焼米溜池(やきごめためいけ)は、佐賀県武雄市北方町に位置する農業用の溜池である。
江戸時代中期、寛政12年(1800年)に佐賀藩8代藩主・鍋島治茂の命により、白石平野の新田開発のために築造された。
鬼ノ鼻山の南麓に広がる谷間に設けられ、現在は「きたがた四季の丘公園」として整備されている。
この池の名の由来には古い伝承がある。
古代日本の忠臣・武内宿禰がこの地を通過した際、村人たちが米を煎って彼をもてなしたという故事にちなみ、この地域は「焼米」と呼ばれるようになったとされている。
しかし、この地にはもうひとつ、あまりにも陰鬱な“名の由来”が語られている。
それが、今なお囁かれる心霊現象の数々である。
焼米溜池(焼米池)の心霊現象
焼米溜池(焼米池)の心霊現象は、
- 女性の霊が現れる
- 湖面に人影が浮かぶ
- 夜間になると池から奇妙な音が聞こえる
- 遠くで誰かが泣いているような声がする
以下、これらの怪異について記述する。
女性の霊が現れる
この池では、時折、水辺を彷徨う女性の霊が目撃される。
白い服を身にまとい、うつむいたまま、ゆっくりと湖面沿いを歩いている姿だという。
誰にも気づかれぬよう、そっと存在を主張する彼女の表情は決して見えない。
だが、見た者は皆、底知れぬ寒気に襲われると口をそろえる。
湖面に人影が浮かぶ
特に風のない夜、月明かりに照らされた水面に人影が浮かぶことがあるという。
その影は決して動くことなく、ただ湖の中央に佇んでいる。
近づこうとすると、ふと消え、何事もなかったかのように湖は静けさを取り戻す。
この影の正体は、かつてこの池で命を絶った者の怨念なのかもしれない。
夜間になると池から奇妙な音が聞こえる
夜、人気が途絶えた時間帯にこの池に近づくと、「ぼちゃん…ぼちゃん…」と水音が聞こえてくる。
誰もいないはずの湖に、まるで誰かが繰り返し飛び込んでいるかのような音。
だが、どれほど探しても、水を割る者の姿はない。音だけが、そこに残る。
泣いているような声がする
ときおり、風に乗ってどこからともなく聞こえてくる嗚咽のような声。
大人の女のものとも、幼い子供のものともつかぬその声は、耳元で囁くようにして鼓膜に触れる。
「やめて…」というような断片的な言葉を聞いた者もいるという。
焼米溜池(焼米池)の心霊体験談
ある地元の男性が、釣りのために早朝焼米溜池を訪れた際の話である。
水面に仕掛けを落とした直後、池の中央から「チャポン…」という音がした。
風も波もない、無風の朝だった。
不審に思い双眼鏡で確認したところ、黒い何かが湖面に浮かんでいた。
しかし、数秒後にその影は波紋も残さず消え去った。
動揺した彼は早々に撤収したが、その夜、夢に白い服を着た女が現れ、「見たね」と呟いたという。以降、彼は二度とこの池を訪れていない。
焼米溜池(焼米池)の心霊考察
焼米溜池には、いくつかの心霊の根拠がある。
まず、かつてこの地にあった集落が、溜池の築造と引き換えに水没させられたという歴史。
住民の立ち退きに際し、墓や神社が水に沈められた可能性が高く、そこには鎮魂の儀も十分に施されなかったのではないかと考えられている。
また、この池では長年にわたり入水自殺が繰り返されてきたという記録もある。
湖面に現れる霊や音は、無念のまま命を絶った者たちの残留思念によるものかもしれない。
さらに、1975年から1989年までに発生した「佐賀女性7人連続殺人事件」のうち、最後の3件はこの池の周辺で遺体が発見された“北方事件”として知られている。
直接この池で起きた事件ではないにせよ、土地に染み込んだ“死”の記憶が、今も何らかの形で現象化している可能性は否めない。
現在、焼米溜池は多くの農地を潤す重要な水源であり、多くの人々に恩恵を与えている。
しかし、その静寂の裏に潜むものを知ってしまったならば、この池の本当の姿は“恩恵の水源”だけではないのかもしれない。
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