丸亀城には、築城の陰で犠牲となった者たちの怨念が今も息づいていると囁かれている。名石工・羽坂重三郎が井戸に落とされ非業の死を遂げた「二の丸井戸の怪異」、そして築城の人柱にされた豆腐売りの怨霊が雨の夜に声をあげる「豆腐屋の怪談」。今回は、丸亀城にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
丸亀城とは?

丸亀城は、標高66メートルの亀山に築かれた平山城であり、別名「亀山城」とも呼ばれている。
慶長2年(1597)に生駒親正が改修を行い、寛永18年(1641)には山崎家治が高石垣を築き、さらに京極氏によって御三階櫓(現存天守)が完成した。
その特徴は「日本一高い石垣」「日本一小さな現存天守」「日本一深い井戸」と、数々の“日本一”を持つ稀有な城である。
しかし、その誇るべき歴史の裏には、残酷な伝説と怨霊の噂が今も語り継がれているのである。
丸亀城の心霊現象
丸亀城の心霊現象は、
- 二の丸井戸に現れる羽坂重三郎の霊
- 雨の日に響く「豆腐、豆腐はいらんかね」と囁く声
である。以下、これらの怪異について記述する。
羽坂重三郎と二の丸井戸
丸亀城の石垣を築いた名工・羽坂重三郎は、扇の勾配をもつ高石垣を完成させた。
殿様はその出来栄えを絶賛したが、重三郎は慢心したのか「鉄の棒があれば登れる」と豪語し、実際に登って見せた。
この言葉が殿様の不信を招いた。もし敵に寝返れば、この城は簡単に落とされると恐れたのである。
殿様は重三郎を二の丸井戸の調査に向かわせ、上から石を投じて葬り去った。
その井戸は深さ36間(約65メートル)もあり、今なお「日本一深い井戸」とされる。
以降、この井戸からは夜ごとに重三郎の呻き声が響くと噂されている。
覗き込む者は背後に冷たい気配を感じ、肩を押されるようにして井戸に引き込まれそうになるという。
豆腐売りの人柱
築城の工事が難航した折、城の安泰を祈るために人柱が求められた。
雨の中、城下を「豆腐はいらんかね」と売り歩いていた豆腐屋が目をつけられ、穴に放り込まれて生き埋めにされた。
その日以来、雨の夜には城下に「豆腐、豆腐はいらんかね」と怨嗟の声が響くという。
その声を聞いた者は、足元から水に沈むような感覚に襲われ、逃げることもできずに震えあがったと伝わっている。
丸亀城の心霊体験談
ある観光客が梅雨の夜、丸亀城を訪れた。人気のない石垣の下で足を止めると、遠くから「トーフー……」と湿った声が聞こえてきたという。
周囲を見渡しても誰もおらず、雨に濡れた石段の上には、豆腐の白い欠片のようなものが落ちていた。
恐ろしくなった観光客は振り返ることもできずに城を後にした。
また、別の登城者は二の丸井戸を覗いた瞬間、下から突き上げるような視線を感じたという。
慌ててその場を離れたが、帰り道の背後で「カン、カン」と鉄棒を突くような音がついてきたと証言している。
丸亀城の心霊考察
丸亀城の心霊現象には、築城にまつわる犠牲と理不尽な死が深く関わっている。
羽坂重三郎の逸話は、名工の自負が一転して裏切りの疑念を招き、非業の最期を遂げたことへの怨念を表すものである。
また豆腐屋の伝説は、人柱という残酷な風習と、日常を断ち切られた庶民の無念が形を変えて語り継がれているものと考えられる。
現代においても雨の日や井戸の前では異様な気配を感じる者が多く、その霊的な存在は今なお城をさまよい続けているとしか言いようがない。
丸亀城は「石垣の名城」と称される一方で、犠牲者の声を今も閉じ込めた、沈黙の霊城なのかもしれない。
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