大阪府柏原市の山間に眠る「旧柏原トンネル(芝山トンネル)」。明治の時代に築かれたこの煉瓦造りの鉄道隧道には、今もなお奇妙な噂が囁かれている。今回は、旧柏原トンネル(芝山トンネル)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
旧柏原トンネル(芝山トンネル)とは?
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旧柏原トンネル(芝山トンネル)は、大阪鉄道によって明治23年(1890年)に完成した煉瓦造りの鉄道トンネルである。
大正12年(1923年)に関西本線が複線化された際、上り線専用として使用されていたが、昭和41年(1966年)に新たなトンネルが掘削され、旧トンネルは役目を終えた。
その後、旧トンネルは廃止され、保線用通路などとして一時期利用されていた形跡があるが、現在は頑丈な鉄格子によって封鎖されている。
外観には美しい煉瓦積みの意匠が残り、近代土木遺産Bランクに指定されるなど、歴史的にも貴重な構造物である。
しかし、こうした工学的価値とは裏腹に、この場所では不可解な事故や奇妙な噂が絶えない。
特に、深夜に響いた列車事故をきっかけに、旧柏原トンネルは“霊の棲む場所”として知られるようになった。
旧柏原トンネル(芝山トンネル)の心霊現象
旧柏原トンネル(芝山トンネル)の心霊現象は、
- トンネル付近で人影を見たという報告
- 線路沿いで足音や悲鳴のような声が聞こえる
- 霊感の強い者が体調不良を訴える霊障
- かつて警備小屋で警備員が亡くなったという噂
である。以下、これらの怪異について記述する。
芝山トンネル一帯が心霊スポットとして語られるようになったきっかけは、2013年7月21日に起きた痛ましい事故である。
深夜0時55分頃、関西本線・芝山トンネル内で、当時16歳の男子高校生2人が列車にはねられ、1人が死亡、もう1人が右足骨折の重傷を負った。
少年たちは男女合わせて13人のグループで肝試しの最中であり、道に迷った末にトンネル内に入り込んでしまったという。
列車の音に気づいた仲間たちは非常帯に逃げ込むなどして命を取り留めたが、2人だけが逃げ遅れた。
当初は単なる事故として報じられたが、その後、地元では「彼らの肝試しが新たな霊を呼び覚ました」と囁かれるようになった。
また、過去にはトンネルを管理していた警備員が亡くなったという噂も残されている。
公式な記録は確認されていないが、夜間の巡回中に倒れていたという話が伝わる。
それ以降、この場所では機械が故障したり、作業員が原因不明の体調不良に見舞われるといった霊障が報告されている。
近隣には水子供養の墓地もあり、トンネルを出た直下に小さな祠が建てられている。
線路を見下ろす位置に供花が絶えないのは、偶然ではないのかもしれない。
旧柏原トンネル(芝山トンネル)の心霊体験談
実際に現地を訪れた者の証言によると、トンネルの前で写真を撮ると「白い靄のようなもの」が映り込んだという。
また、同行した者のひとりが帰宅後に高熱を出し、しばらく悪夢にうなされたとも語っている。
現場に霊の姿を見たという報告は少ないが、霊感が強い者ほど強烈な頭痛や吐き気を覚えるといわれており、「姿は見えなくとも確かに“何か”がいる」と感じる人は多い。
実際、地元では「芝山トンネルに入ると連れて帰る」と恐れられており、軽い気持ちで肝試しに行った若者がその後、不幸に見舞われたという話も存在する。
旧柏原トンネル(芝山トンネル)の心霊考察
旧柏原トンネルが持つ重苦しい空気は、単なる暗闇や閉塞感による心理的作用だけでは説明がつかない。
この地では、明治以降に複数の工事事故があったと伝わり、近代化の陰で多くの命が犠牲となった可能性がある。
また、2013年の列車事故がその残留思念を刺激し、新たな“現象”を引き起こしたと考える者もいる。
トンネルは人間の営みと死が交錯する場所である。
封鎖された旧坑道の奥には、かつて蒸気機関車が響かせた轟音と、そこで途絶えた命の記憶が沈殿しているのかもしれない。
この場所で違和感を覚える者がいるのも、また事実である。
何が真実なのか――それは、実際に訪れた者だけが知ることになるだろう。

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