花魁淵は、55人の遊女たちが踊り舞台もろとも淵に沈められたという云い伝えがある悲しい伝説がある場所である。この場所は心霊スポットとして有名で、さまざまな心霊体験をした者がいるという。今回は、花魁淵のウワサの心霊話を紹介する。
花魁淵とは?
花魁淵(おいらんぶち)は、山梨県甲州市塩山一之瀬高橋に位置する滝と史跡である。
別名としておいらん淵やオイラン淵とも呼ばれ、淵を「渕」と表記することもある。
ただし、一般的には「花魁淵」という漢字表記はあまり使われないらしい。
花魁淵は国道411号(青梅街道)旧道(現在は通行止め)沿いにあり、甲州市と北都留郡丹波山村の境界に位置している。
地元では「銚子滝」と呼ばれている。
この名前は、戦国時代に起こった悲劇に由来すると云われている。
花魁淵の存在は、天保十三年(1842年)に山田早苗(1773-1855)の著書「玉川泝源日記」に記録されている。
この書籍では、「五十人淵」とも記されているが、一部では「五十五人淵」とも云われている。
花魁淵の伝説
おいらん淵は、心霊スポットとして知られている。その背後には、以下の伝説がある。
戦国時代、鶏冠山には武将・武田信玄が所有する黒川金山が存在していた。
この地域には鉱山町が形成され、鉱夫たちのために遊廓も存在し、その繁栄ぶりは「黒川千軒」と称されるほどだった。
ところが、織田信長と徳川家康の連合軍による甲州征伐によって、武田勝頼が敗れ、武田家は滅亡。
その結果、金山も閉鎖されることとなった。
当時の金山奉行は、金山の秘密が漏れることを恐れ、遊廓にいた55人の遊女と金山で働いていた武士たちを皆殺しにすることを決定。
彼らは柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台を準備し、遊女たちに宴会を開いて舞わせた。
そして、彼らが舞っている最中に蔓を切り、宴台ごと淵に沈めて彼らを殺害したのである。
女たちは絶望と深い恨みを抱えたまま暗い谷底に落ちていき、ほとんどの者が命を絶った。
幸運にも岩場への衝突を避けて下流に流された者もいたが、その時点で助けを求める家庭には処罰のお触れが回っており、彼女たちは酷く衰弱したまま絶命したという逸話も伝わっている。
この下流の丹波山村には、彼女たちの慰霊のために「おいらん堂」と呼ばれる建物が建てられている。
花魁淵の心霊現象
花魁淵の心霊現象は、
- 遊女の怨念が渦巻いている
- 女性の霊が現れる
- 少女の声が聞こえる
- 心霊写真が撮れる
- 体調不良になる
である。現在、花魁淵は立入禁止となっているのだが、厳重に管理される以前には肝試しで訪れる者も多々いたようだ。
特に、慰霊碑が置かれている場所で奇妙な心霊体験をした者がいるという。
花魁淵では、多くの奇妙で恐ろしい現象が多く報告されている。
この場所では、次のような怪異が頻繁に目撃されているのである。
女性の霊の目撃情報
川の中に襦袢姿の女性が現れたり、足のない女性が漂っていたり、花魁姿の女性が手招きをしてくるという報告が絶えない。
遊女たちの霊が今もこの地を彷徨っているのかもしれない。
キャンプ場の怪異
花魁淵の近くにあるキャンプ場でも、女性の霊が目撃されている。
ここでは、花魁姿だけでなく、現代風の服を着た女性の霊も現れることがあると云われている。
これらの霊は、この地域で亡くなった女性たちかもしれない。
慰霊碑付近の異変
遊女たちの供養のために建てられた慰霊碑の近くでは、車を停めていると車体が叩かれる音が聞こえることがあり、特に男性が単独でいる時にこの現象が起こると云われている。
心霊写真のウワサ
花魁淵では心霊写真が撮れるともウワサされている。
黒い人形の影やオーブが写り込むことが多いと云われており、昔から心霊現象が頻発する場所として知られている。
謎の歌声や叫び声
夜に花魁淵を訪れると、暗闇の中から女性や子供の歌声や叫び声が聞こえるというウワサもある。
これらの声の主は、この場所に取り憑かれた霊たちかもしれない。
戦時中の都市伝説
戦時中に山梨県が原爆投下候補地とされていた際、米軍が多数の花魁に遭遇したために投下が断念されたという話があるが、真相は不明である。
祟りの看板
花魁淵には詳細を記した看板があり、最後まで読むと祟られて帰りに交通事故に遭うというウワサがある。
実際に事故に遭った人がいることから、このウワサが広まったと云われている。
トンネルの怪異
花魁淵の近くにはいくつかのトンネルがあり、そこで人影が見えるというウワサもある。
トンネルは霊が集まりやすい場所とされており、花魁淵周辺を彷徨う霊が留まっている可能性がある。
現在、花魁淵は厳重に封鎖されており、近づくことはできない。
周辺では今でも心霊現象が起こると云われており、冒険心から近づくのは避けるべきである。
近くまで行く際には、慰霊碑に手を合わせる程度に留めておくことが望ましいとのこと。
花魁淵の近くで体調異変が起きた心霊体験談
20年以上前、夫婦でドライブをしており、甲府から所沢方面に戻る途中、国道411号を通った。
その後、私に起こった異変についてお話しする。
私は霊を見たりすることはできないが、耳鳴りの後に金縛りにあったり、人混みで具合が悪くなったり、直感が働いたりと、体調不良になる体質。
当時、私は花魁淵という場所について全く知らなかった。
その場所へは単なる偶然で、帰り道にその道を通っただけだったのである。
甲府を出る頃には夕方で、国道411号を走っている間は真っ暗な山道で街灯もなかった。
その雰囲気が不気味に感じた。
途中から急に気分が悪くなった。
車酔いをしたのかと思ったが、気持ち悪さだけではなく、頭痛や肩こりのようなだるさを感じ、熱があるように感じ、急激に体調不良になることに不思議に思ったのだ。
丹波山村あたりから具合が急に悪くなり、標識を見ながら「休めるところはないか?」と夫にトイレ休憩を頼んだが、山道にはそういった場所がなく、結局奥多摩湖まで行って休憩することにした。
だるさが尋常ではなく、辛くて辛くて自宅まで送ってもらったが、翌日から原因不明の発熱で仕事を休職。
その後、体中に発疹が出て入院することになった。
発熱と発疹は一週間ほどでおさまったが、その後も原因不明の頭痛が激しく、起き上がることすらできなくなり、約2ヶ月間仕事を休職することになった。
体調が悪化し、社会復帰できないのではないかと絶望的な気持ちになることも多くあった。
しかし、少しずつ回復し、社会復帰することができたのは幸いなこと。
検査をいくつか受けたが、原因不明とされ、風邪が悪化したのだろうという結論に至った。
私が具合が悪くなった原因は、もしかしたら花魁淵の近くを通ったせいだったのかもしれない。
当時、その辺りは旧道だったそうだ。
現在は道路が変わったとのことだが、私はあの辺りを二度と通りたくない。
あんなつらい経験はもう二度としたくない、肝試しをしようと考えている人には絶対に行かないほうがいい。
花魁淵の怪奇な体験 夜中の目撃
数年前から、基本的に私は花魁淵への訪問を避けるようになった。
夜中に心霊スポットへドライブに出かけるというのは、昔から若者たちの間で行われる愚かな娯楽である。
30年以上前、友人と二人で夜中に花魁淵へ行こうと計画した。
深夜の1時頃、奥多摩方面から到着した瞬間、花魁淵の前には道端に四角い木の柱が立っていた。
その柱には「花魁淵」と書かれていたのだが、そのすぐ後ろで何者かの人影が猛スピードで走り去る様子が、ライトの光に浮かび上がって見えたのである。
私は少しヤバい状況かもしれないと感じた。
その時、隣にいた友人が「なにか人影が見えなかった?」と震えていた。
私たちは幽霊を見たのだと確信し、恐怖を感じたため、車から降りることなくそのままUターンして帰宅。
特に身体的な害はなかったが、私たちはそれを目撃したのである。
深夜の帰宅途中で聞こえた女性の声 心霊体験
夫の友人が経験した出来事である。
友人Aは実家から東京へ帰る途中で、深夜に出発し渋滞を避けようとしていた。
眠気を紛らわすため、友達と電話しながら帰っていたそうだ。
話している最中、電話の相手が突然「お前、誰と一緒にいるの?」と言ったとのこと。
友人Aは何のことか分からず、「いないけど?」と尋ねた。
相手は「女性の声が聞こえるのだけど」と答えた。
友人Aは恐怖に襲われ、音楽を大音量にして東京へと帰ることにした。
この場所は、女性は特に注意が必要な場所である。
花魁が嫉妬心を抱く可能性があるため、女性に被害が出やすいと云われているそうだ。
また、後部座席まで人を乗せて行くことが良いとされている。
「そうしないと何か乗ってくるから」と、知り合いが話していたのを聞いた。
こわっ。RT @itohan_3daime 恐怖体験。。。先ほど犬の散歩中に、暗い細い路地で、10代の自転車の若者に『おいらん淵ってどこですか?』と聞かれる。今から自転車で行くのか?と聞いたら『待ってるんです…』うは、鳥肌。おいらん淵、知らない人はググってね。。。待ってるんです…
— KatsuhitoWeb (@KatsuhitoWeb) August 23, 2010
花魁淵の場所・アクセス・地図
花魁渕の住所 | 〒404-0021 山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋 |
---|---|
交通アクセス | 甲府市から国道140号 と 大菩薩ライン/国道411号 経由で1時間4分 |
最寄りのバス停 | 落合(徒歩43分)大菩薩ライン/国道411号 経由 |
最寄り駅 | 塩山駅(徒歩6時間24分)大菩薩ライン/国道411号 経由(車で37分) |
コメント