屋良城址公園では、霊の目撃情報も多く自殺もあった場所と云われている。公園内で流れている比謝川も多くの心霊のウワサが絶えずある。屋良城址公園内には無縁仏のお墓も多数あり、地元民の中でも霊感の強い方は行くのを嫌がる場所のようだ。今回は、屋良城址公園のウワサの心霊話を紹介する。
屋良城址公園とは?
本公園は、嘉手納町の北側に位置し、昔は大川按司の住居があった場所。
その後、比謝川のそばにある空間と一体となるように公園として整備された。
この公園は町民の憩いの場やレクリエーションスポットとして利用されている。地形が多様で自然豊かなエリアで、在来種の樹木が豊富に残されており、野鳥や植物の観察にも最適である。
また、嘉手納町に残る城跡公園でもあり、14~15世紀に建てられたと考えられている。
現在は公園として整備されており、遺構はほとんど残っていないが、城好きの方には当時の雰囲気を感じながら散策する良い場所。
名嘉病院近くのマンションと赤橋近くの団地3号棟と屋良城址公園って心霊スポットだったのかぁ(´-`).。oO
— ちい (@_iknown) August 23, 2015
屋良城址公園の心霊現象
屋良城址公園の心霊現象は、
- 上半身だけの兵士の霊がでる
- 足だけが歩いていた
- ラップ音が聞こえる
- 車の窓ガラスに手形が付く
- 無音仏のお墓に案内される
- 周りからの視線を感じる
である。屋良城址公園では焼身自殺をした者がいるというウワサもあり、オーブ等の心霊写真も撮れるという。
カメラ等の機器が不調になったり、体調不良になる方も霊感が強い方にはいるようだ。
嘉手納の中で屋良城址公園は、恐怖の心霊スポットといわれる程ヤバい場所と云われている。
昼間は、ウォーキングしている方がいるのだが、それでも昼間とは思えない程に暗い雰囲気をかもしだしている。
ホームレスのような、家がない方もこのあたりにはいるようなので、女性が1人で歩くのは少し勇気がいるかもしれない。
上半身だけの兵士の霊
屋良城址公園では、兵士の霊の目撃が多数ある。
戦時中に捕虜となった者が逃げ出さない為に両足を切断された為、上半身だけの兵士の霊が這いずり回っていると云われている。
沖縄戦当時の屋良城址公園では、捕虜収容所があったようで脱走して比謝川を泳いで逃げないように両足を切断したようだ。
更に、日本兵の体をバラバラに切断し、比謝川流域の木々に吊るすことで、逃亡を諦めさせようとした。
屋良城址公園では、無念の日本兵の霊が多数目撃されている。
所有者不明のお墓
戦後に建てられたとみられるお墓が多数点在し、100基を超えるお墓は所有者不明で手がかりがないと言われ、放置された無音仏のお墓が屋良城址公園・比謝川周辺に点在している。
比謝川一帯のお墓は、戦後の混乱している時期に無断で建てられたと考えられており、嘉手納基地に土地を奪われた者がここに移動し、お墓が集まったとみられているという。
屋良城址公園入り口からガジュマルが絡まる無音仏のお墓は続いており、持ち主を探しているという看板が立てられている。
周りは森に囲まれており、何処からとなく視線を感じることも。
夜にいくと、駐車場に停めてあった車に手形がついていたという話しもあり、この辺りでは霊が集まりやすくなっているのだろうか。
屋良城址公園の蛍と線香
屋良城址公園を訪れた者に季節外れの蛍が無音仏のお墓に導くと云われている。
人の歩くような場所ではなく、木々に覆われていたため断念したが、向こう側には無音仏のお墓があったのかもしれない。
屋良城址公園には「ヌールガー」と呼ばれる井泉が祀られており、災厄を払う等の祭祀を行っていたようだ。
ヌールガーには水神を祀る祠が建てられ、ウコールが設置されている。
現在も拝所として祈られているようである。
屋良大川按司(やらおおかわあじ)のお墓は、屋良城址公園の東側に位置しており、1991年に移築した。墓の碑には「字屋良御先 大川按司之墓」と彫られ、霊石とウコールが置かれている。
屋良大川按司の墓の北東側には「字屋良ウブガー」がある。
古くから利用されていた湧き水もあり、集落で子供が生まれる時に儀式として使用する事もあったようだ。
沖縄にはまだまだ知らない歴史や伝承等が多く存在しており、心霊と深く関わっていると感じる。
屋良城址公園の場所・アクセス・地図
屋良城址公園の住所 | 〒904-0202 沖縄県中頭郡嘉手納町屋良 |
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交通アクセス | 那覇市から国道58号 経由で37分(沖縄嘉手納線16号・74号と通り小道を北上する。屋良町営住宅の向かい) |
最寄りのバス停 | 屋良(徒歩6分)屋良城跡公園通り 経由 |
最寄り駅 | 近くに駅はない |
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