金沢市の卯辰山公園に佇む解剖墓地は、歴史と霊の謎に満ちた場所であるという。その昔、明治時代に金沢大学医学部の学生たちが行った解剖実験は、現在もなおその遺産を背負っているのだとか。今回は、解剖墓地のウワサの心霊話を紹介する。
解剖墓地とは?
卯辰山公園は金沢市の名所で、「日本の歴史公園100選」に選ばれている。
春には花見客でにぎわい、夜は展望台から金沢市街の夜景が楽しめる場所としても知られている。
歴史的には、江戸時代に飢饉で苦しむ人々約2000人が卯辰山から城や屋敷に米を求めて訴えた出来事があった。
その際、首謀者7人が捕まり処刑されるという事件も起きた。
明治43年に市立の公園になってからは、多くの記念碑が建てられている。
その中には解剖墓地も含まれており、明治時代に金沢大学の医学生が献体を解剖した人々を供養するために建てられた。
金沢市の金沢大学医学部解剖体墓地について
金沢市にあるのは金沢大学医学部解剖体墓地と呼ばれる場所である。
今では多くの人が献体を希望するそうだ。
その中には医学の進歩のために貢献したいと思う人もいるが、経済的な理由から火葬や葬儀の費用を大学が負担してくれるため、裕福でない家庭からの希望も多いとのこと。
ただし、実際には火葬までで、葬儀や墓は用意されないらしい。
法律では、教育目的以外の献体は認められていない。
この墓地に埋葬されている人々の多くは、明治時代から昭和半ばにかけて献体された孤独な方々である。
死刑囚や身元不明の人など、当時は様々な経緯で献体された人々がここに埋葬されていたそうだが、後に手厚く改めて埋葬され、墓石も建てられている。
現在は登録制で、本人や家族の同意が必要らしい。
この解剖体墓地に直接埋葬されることはないが、例外もあるようだ。
解剖墓地の心霊現象
解剖墓地の心霊現象は、
- 解剖された者の霊が出る
- キリスト教徒たちの迫害を受けた霊が姿を見せる
である。明治時代に、金沢大学医学部の学生たちが解剖実験を行い、その結果、解剖された人々がバラバラにされて捨てられた場所があったと云われている。
彼らを供養するために、その名の通り解剖墓地が作られた。
そのため、解剖された者の霊が医学生たちの手によって現れるというウワサもある。
卯辰山では、江戸時代に村人2000人が集まり、年貢の軽減を求めたが、首謀者7人が処刑され、一揆は終わった。
この場所には何百年もの恨みが積み重なっているようである。
ここで伝えられる心霊現象には、昭和以前に献体された亡霊が自らの体を求めて現れるというものがある。
彼らは古くから出没するそうだ。
この場所はかつて、農民一揆の首謀者が処刑された場所でもあり、近くにはキリスト教信者の墓地もある。
キリスト教徒たちの迫害を受けた霊も姿を見せると云われている。
金沢市の解剖墓地での怪談話
夜の金沢市、解剖墓地では静寂が支配していた。
風が冷たく、月明かりが墓地に淡い光を差し込む。
とある老婆が、若い夫婦にこの場所の伝説を語っていた。
「この解剖墓地、昔から不思議な噂があるんですよ。昔、医学生たちが解剖実験をした後、人々の霊がこの場所に出没すると言われているの。」
夫婦は興味深そうに耳を傾けた。
「解剖された者の霊が、学生たちの手によって現れるとか。静かな夜に自らの姿を見せるというのもあるんですよ。」
夫婦はお互いを見つめ合い、さくらの話に驚きを隠せなかった。
「この墓地の近くには、昔、農民たちが年貢の軽減を求めて抗議した場所があるんです。それが原因で、何百年もの恨みがこの土地に残っているとか。」
夫婦は興味津々で聞き入った。
「さらに、キリスト教信者の墓地も近くにあるんですよ。彼らはかつて迫害を受けていたそうで、その苦しみが霊として残っているとウワサされています。」
夫婦はお互いに囁き合いながら、老婆の話に耳を傾けている。
解剖墓地では、夫婦とさくらが昔から伝わるウワサ話に興じ、様々な霊が静かに彷徨っているかのようだった。
解剖墓地の場所・アクセス・地図
解剖墓地の住所 | 日本、〒920-0833 石川県金沢市末広町86 |
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交通アクセス | 金沢市からのと卯辰山公園線 経由で13分 |
最寄りのバス停 | 望湖台(徒歩33分)卯辰山公園線 経由 |
最寄り駅 | 七ッ屋駅(徒歩51分)県道200号 経由(車で13分) |
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