仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)

戦争中の朝鮮人や中国人の強制連行が激しく、仁科鉱山でも大量の連行者がやってきたが、扱いが特にひどかったらしく多くの犠牲者が出た場所である。今回は、仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)のウワサの心霊話を紹介する。

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)とは?

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)は、あまり知られていない場所で、マイナーな部類に入る。

主に掘られていた鉱石は明ばん石で、アルミニウムの原料として使われていた。

平和時には民需用として使われていたが、戦時中には軍需用として、特に戦闘機や航空機関係、兵器用の材料であるジュラルミンを製造するのに必要な原料だった。

この鉱山は、昭和5年(1930年)代に発見された比較的新しいヤマで、日本の金属鉱山の中では最近の方である。

最初は宇久須鉱山で明礬席を採掘していましたが、昭和17年(1942年)頃に南方戦線が敗北に次ぐ敗北でボーキサイト(アルミの原料)の輸入が不可能になったため、国内での調達が必要になった。

昭和18年(1943年)に宇久須鉱山が宇久須鉱業(株)に、仁科鉱山が戦線鉱業(株)<国策企業・初代社長は軍人>にそれぞれ設立され、アルミニウムの増産に取り組んでいた。

しかし、アルミナの質が悪く、電解製錬が上手くいかなかったため、完成品の歩留まりが悪く、増産が思うように進まなかったそうだ。

そこで、軍部は昭和19年(1944年)から昭和20年(1945年)にかけて、住友に宇久須鉱山を、古河に仁科鉱山を半ば強制的に経営させ、確実な増産を目指した。

この時期には、朝鮮人や中国人の強制連行が激しくなり、仁科や宇久須にも大量の連行者がやってきたそうである。

特に、仁科鉱山の場合は、国策企業であり、軍人が経営していたため、連行者の扱いが特にひどかったという証言もあるという。

昭和20年(1945年)の年明け頃、日本は敗色が濃くなり、古河グループが経営する戦線鉱業は、事実上軍部の命令により、仁科鉱山に多くの労働者を呼び込み、選鉱所や索道、その他の土木工事を急いで行い、周りの鉱山からさまざまな機械・機器類なども移した。

しかし、同年8月15日に敗戦が宣言され、完成を待たずに工事は中断された。その後、再開する話は聞かれない。

仁科鉱山は、昭和5年(1930年)に発見された新しい鉱山であり、主にアルミニウムの原料である明ばん石を採掘していた。

しかし、実際に鉱石を採掘し、アルミを製錬していた期間は15年間にも満たず、短命な鉱山であった。

戦時中という状況もあったが、多くの犠牲を払って手に入れた「成果」に比べて、非常にはかないものだった。

ちなみに、同時期に起こった秋田の花岡鉱山事件も有名である。

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)の心霊現象

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)の心霊現象は、

  • 何者かの視線や気配を感じる

である。日本には忘れてはならない過去がある。

大陸から強制連行され、無念な死を遂げた多くの人々がいたのだ。

西伊豆町にも多数の中国人が送られ、仁科村の戦線工業で82人が亡くなったのである。

道路には看板が立っており、住宅地を通り抜けると、林道入口の橋の手前に慰霊碑があるという。

この場所を訪れた者は目的地に近づくにつれて胸が苦しくなり、慰霊碑の前に着くまでに車を降りて、友人の後を追ったという。

慰霊碑の下にある石板には文字がある。

要約すると、大平洋戦争末期に多数の中国人が強制的に連行され、そのうち82人が仁科村の戦線工業で無念の死を遂げたという話だ。

昭和29年(1954年)には葬儀が行われ、遺骨が本国に埋葬されました。

昭和51年(1976年)にはこの地に慰霊碑が建てられ、このような悲惨な過去の記憶を後世に残すためになされたものである。

肝試しに訪れた者は周囲の真っ暗な雑木林から見られているような視線を感じ、この地を去るまで不安を感じたという。

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)の場所・アクセス・地図

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)の住所 〒410-3511 静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里
交通アクセス 富士市から国道136号 経由で約1時間59分
最寄りのバス停 白川(徒歩26分)
最寄り駅 近くに駅はない

仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)の地図(Googleマップ)

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