轟壕(轟の壕)は、600人もの避難民が生き残った場所として知られている。今回は、轟壕(轟の壕)のウワサの心霊話を紹介する。
轟壕(轟の壕)とは?
轟壕は、沖縄県糸満市にある自然洞穴であり、太平洋戦争末期に日本軍と避難した住民が立てこもり、アメリカ軍の攻撃と日本軍による住民への暴行で多数の犠牲者が出た場所として伝えられている。
県庁職員も避難した壕で、沖縄県庁最後の地としても知られている。
内部には川が流れ、巨大なガマには最大1000人以上の人々が避難してきたが、食料不足と過酷な環境ゆえに亡くなった方も多かった。
昭和20年(1945年)6月18日、アメリカ軍が攻撃したが日本兵は住民が壕を出る事を許可しなかった。
24日すでにアメリカ軍の捕虜となっていた県民の説得により、約600人の住民が投降し保護された。
軍民混在の轟壕。餓えと恐怖の中、日本兵が子どもの黒糖を奪い、抗議した子どもを銃殺。おばあも、目の前で撃ち殺されているのに、泣いたら自分も殺されるので泣けない。「これは許せないと思った」「敵はアメリカじゃなく、その時から友軍が敵になってしまった」。#NHKスペシャル#沖縄出口なき戦場 pic.twitter.com/Nj3PXnyWem
— 杉原こうじ(NAJAT・緑の党) (@kojiskojis) August 2, 2020
轟壕(轟の壕)の心霊現象
轟壕(轟の壕)の心霊現象は、
- 白髪のお婆さんの霊が座っている
である。壕内で亡くなった霊が現れるとウワサされており、特に有名な話は白髪のお婆さんの霊が壕内に座っているという話だ。
修学旅行で訪れた学生の中には、黒髪の女の霊が見えたらしく急に泣き始めたという。
これだけではなく、その他の学生の話では「異臭」と「ここから出られない」という声が聞こえたらしい。
特に霊感の強い方が行くと体調不良などの影響を受けることがあるという話だ。
おどろおどろしい雰囲気が漂っており、ガマの奥まで続いている階段ではライトで足元程度しか見えなく真っ暗である。
観光で来る方の中には、怖さで奥まで進むことができない者もおり、写真を撮ることでさえも憚る場所である。
轟壕はいりたくないなー
— 遥🌱杉野遥亮【ようすけ】と読みます (@DANCE18fantasy1) September 24, 2016
霊連れて帰りそー
バスで待ってようかなあー
みんな行っちゃうのかなー
轟壕(轟の壕)の場所・アクセス・地図
轟壕(轟の壕)の住所 | 〒901-0363 沖縄県糸満市伊敷 |
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交通アクセス | 那覇市から国道331号 経由で21分 |
最寄りのバス停 | 南部病院前(徒歩11分)名城バイパス/国道331号 経由 |
最寄り駅 | 近くに駅はない |
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