沖縄の豊見城城址公園内にある旧陸軍24師団第二野戦病院壕。1945年5月まで使用された後に糸満市の糸州の壕へ移動した。建設には住民も動員され、軍医・衛生兵など200人の部隊が配属され、多くの学徒が動員された。今回は、野戦病院壕・旧陸軍第24師団第二野戦病院壕のウワサの心霊話を紹介する。
野戦病院壕(旧陸軍第24師団第二野戦病院壕)とは?
豊見城城址公園内にある病院壕は那覇市を一望する高台にある。
この壕は、昭和20年に建設され私立積徳高等女学校の生徒らが「ふじ学徒隊」として従軍していた。
戦況悪化により糸州方面に後退した際にの野戦病院壕は放棄された。
建設には住民も動員され、総延長は300メートルに及び、軍医や衛生兵など200人の部隊が配属されたという。
現在は豊見城城址公園内が閉鎖されており、中に入るには許可が必要である。
沖縄戦跡。
— 東雲みょん@廃墟を旅する (@tisyaki) March 31, 2019
第62師団野戦病院壕、通称ナゲーラ壕①
沖縄戦当時この壕は病院として使用されたくさんの傷病兵で地獄のような光景となった。軍人だけでなく女性学徒も動員された。3枚目は手術室である。実際にこの場所で人の生き死にがあり、壮絶な戦争の現実があったのだ。
今、壕内は静寂である。 pic.twitter.com/zbNxrO1iu8
野戦病院壕(旧陸軍第24師団第二野戦病院壕)の心霊現象
野戦病院壕(旧陸軍第24師団第二野戦病院壕)の心霊現象は、
- 軍医さん、看護婦さん…と呼ぶ声が聞こえる
- 英霊がでる
- オーブや発光体が撮れる
である。野戦病院壕(旧陸軍第24師団野戦病院壕)では、沖縄戦の激戦地といわれた浦添・西原・那覇一帯から負傷した兵士が運び込まれ日夜看護と治療が続けられた場所。
負傷した兵士を収容能力以上に抱えながら、治療薬が間に合わず食事もとれない環境が続き、薄暗い中でもだえ苦しみながら亡くなったと云われている。
壕の中に入ると、もだえ苦しんで亡くなった兵士の声が聞こえてくるとウワサされており、今でも軍医や看護師を呼んでいるとウワサだ。
昭和58年7月に平和を祈念し、多くの傷ついた英霊を供養するために野戦病院壕が復元している。
第一野戦病院壕
— ❤ RiE 💙 (@milky0927) March 2, 2015
通り抜け出来る様になってるみたいだけど落石で反対側は鎖されてた pic.twitter.com/leQozqFEis
亡くなった場所に残る念い
戦争で亡くなった者の魂は、その場所に未だ残っていることがあることがあるようだ。
野戦病院壕ではないが、嘉数高台公園にある陣地壕の周辺では多数のオーブ・発光体を映すことができた。
野戦病院壕には、まだ実際に行った事がないのだが、亡くなった場所や強い念いが残る場所、遺骨があった場所や霊安室などがあった場所には、亡くなった後でも念いが残っている事がある。
野戦病院壕でも霊の念いが残っているのだろうか。
野戦病院壕(旧陸軍第24師団第二野戦病院壕)の場所・アクセス・地図
旧陸軍第24師団第2野戦病院壕の住所 | 〒901-0241 沖縄県豊見城市豊見城 |
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交通アクセス | 那覇市から那覇東バイパス/国道329号 経由で11分(奥武山米須線7号沿い 海軍壕公園近く) |
最寄りのバス停 | 豊見城公園前(徒歩13分)県道7号 経由 |
最寄り駅 | 奥武山公園駅(徒歩38分)県道7号 経由 |
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