腹切り地蔵

腹切り地蔵は、大菩薩峠の近くに位置する石仏であるが、甲斐源氏の名将である安田義定の生涯にまつわる伝説が残る場所として知られている。安田義定が自刃した場所と伝えられ、その霊を鎮めるために建立されたと云われている。今回は、腹切り地蔵のウワサの心霊話を紹介する。

腹切り地蔵とは?

「腹切り地蔵」として知られる石仏は、小田野山の南麓に位置し、県道西保線(旧秩父裏街道)沿いに祀られている。

この場所は甲斐源氏の一族である安田義定が鎌倉初期に領した土地であり、彼の生きた地としても知られている。

大正14年に県の名勝旧跡に指定され、腹切地蔵尊と六地蔵尊が並んで安田義定一族の供養が行われている。

地元では親しみを込めて「腹切地蔵さん」と呼ばれている。

甲斐源氏の名将 安田義定について

安田義定(やすだ よしてい)は、鎌倉時代初期の武将であり、甲斐源氏の一族の一員。

甲斐源氏は甲斐国(現在の山梨県)を本拠地とし、関東一帯に勢力を持った。

安田義定は甲斐源氏の一族の中でも名高い名将で、鎌倉時代初期に活躍。

彼は甲斐国の支配者として、地域の治安の確保や国内の政治統治を担当し、関東一帯に隆盛を誇った。

しかし、安田義定が死去した後、彼の生きた地である小田野山の南麓に「腹切地蔵さん」と呼ばれる石仏が祀られるようになった。

この地で彼の生害が行われたという伝承が残っており、石仏は彼とその一族を供養するために設置されたものとされている。

腹切り地蔵の心霊現象

腹切り地蔵の心霊現象は、

  • 霊がたくさん集まる

である。この話は鎌倉中期の名将・安田義貞が切腹した場所にある腹切り地蔵の怪奇な出来事である。

腹切り地蔵は安田義貞の霊を静めるために設置されたものだが、次の日には上半身が削り取られたという怪奇な言い伝えがある。

現在でもその場所は不気味で、夜になると数えきれないくらいたくさんの霊が集まるとされている。

地元では交通事故が絶えない場所として知られ、霊感のある人は通らない方が良いと云われている。

ある人物がその場所に遊びに行った際、深夜に帰る必要が生じたが、腹切り地蔵の前を通らなければならないことになる。

周囲には多くの視線を感じ、底知れない恐怖に襲われた。

車を走らせながらもガードレールの下に並ぶ多くの人々の顔が見え、子供の靴が片方だけ転がってきたという怪奇な体験をしたらしい。

この近くの裏山から腹切り地蔵まで霊道になっていると云われ、夜だけでなく昼間でも500人以上の霊が集まるなどとウワサされている。

特に深夜2時以降には悪霊も集まるとされており、遊び半分でこの場所に近づいてはいけない心霊スポットとされている。

腹切り地蔵の場所・アクセス・地図

腹切り地蔵の住所 日本、〒404-0004 山梨県山梨市牧丘町西保下1496
交通アクセス 山梨市から国道140号 と 県道206号 経由で14分
最寄りのバス停 諏訪橋(徒歩48分)県道206号 経由
最寄り駅 東山梨駅(徒歩1時間42分)県道31号 経由(車で13分)

腹切り地蔵の地図(Googleマップ)

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